あなたは、“怒る人”ですか?それとも“怒らない人”ですか?
たとえば、人混みでぶつかられたとき、レストランで注文と違う料理が運ばれてきたとき、並んでいる列に割り込みをされたとき、…ふと見渡してみると、日常を過ごす中で、“怒る”“怒らない”のターニングポイントはさまざまなところにあります。
あなたの周りの友だち、家族、恋人を思い出してみると、いかがでしょうか。
もちろん、相手によって、状況によって、怒るときもあれば、怒らないときもあると思います。
ただ意外と、自分も周りの人も、どちらかのタイプに分けられるのではないでしょうか。
この記事では、どちらが良いか、悪いかを考えるのではなく、両者の考え方を探り、怒りが原因で困ったときの対処法まで考えてみたいと思います。
今ここ思考と長期思考
では、“怒る人”と“怒らない人”を分けるものは何なのでしょうか。
たとえば、最初に例にあげた、レストランで注文と違う料理が運ばれてきたとき。そこで怒る人というのは、今ここで自分の身に起こった不利益に対して怒っているとも言えます。
それに対して、怒らない人というのは、たとえば、今日はカレーライスの気分で注文したけどパスタもいいかもしれない、いつも同じ注文をするからたまには自分で頼まないメニューを食べてみるのもいいかもしれない、など、思考の切り替えが行われているのではないでしょうか。
それはつまり、怒る人の「今ここ思考」に対して、過去や未来といった長期的な時間軸で物事を捉えていると言えるでしょう。
このように考えてみると、この考え方はさまざまな場面で応用することができます。
もしかしたら、これまで苦労していたことを受け流せるようになるかもしれません。
“怒る人”に困ったとき
怒りという感情は、人間には当たり前にあるものですが、時にそれが行き過ぎると、周りが困ってしまうこともあります。
職場や友達関係などでも、よく怒る人にビクビクしてしまう、困ってしまうという経験がある人もいるでしょう。
そんなときに、さきほどの、「今ここ思考」を思い出してみましょう。
怒る人の視点は、今ここ、目の前で起きていることに対して注がれています。(時に、過去の怒りを持ち出して火に油を注いだような状態になることもありますが…)
そうすると、この人は「今ここ思考」になっているから、そこから視点がずれるまでちょっと待ってみようと対応することもできるかもしれません。
もしくは、声をかけられそうであれば、解決法や今後の対応策について提案してみるなど、「今ここ」から視点をずらすこともできます。「今ここ」からずれれば、怒りの温度もすこし冷めるかもしれません。
“怒る自分”に困ったときは…
このように考えてみると、怒る“自分”に対処することもできます。
怒りたくないのにすぐ怒ってしまう、怒りの感情に支配されてしまう、という人は、注目する時間軸をずらしてみると、ふっと落ち着く瞬間があるかもしれません。
誰かの行動に怒りを覚えたときも、その人がその行動に至るまでに何があったのか、という過去のことに思いを巡らせると、何か気づくことがあるかもしれません。
もちろん、時に、必要な怒りもありますが。
怒りという感情は、とてもエネルギーを発するものです。怒る本人もそうですが、周りへの影響も大きいものです。必要以上に怒ってしまってはいないか。何か見落としてはいないのか。立ち止まって考える時間をつくってみると、見えるものがあるかもしれません。
“怒らない人”が気をつけること
一方で、全く“怒らない”という人もいます。
…本当に怒っていないですか?
さきに書いたように、さまざまな考えが巡り、怒りという感情ではなく、別の表現方法になる人もいます。しかし、中には、本当は怒っているのに自分で押し殺してしまっている人もいます。
そういう人は要注意です。
怒らないというのは、もしかしたら、周りに迷惑をかけないための手段かもしれません。
あなたが怒らない分だけ、誰かが助けられているかもしれません。
だけど、自分だけが怒りを押し殺して感情を犠牲にしていたのでは、いつかその怒りは、悲しみや苦しみや憎しみになって、なかなか消えないものになってしまうかもしれません。
そんなマイナスの感情でいっぱいになってしまう前に、一度自分のために感情を解放してみませんか。
無意識に、または意識的に、怒りの感情を押し殺してしまうという人は、まずは自分が怒っていたという事実を受け止めてあげることが大切です。
自分はこのことがいやだった、だから怒っていたんだ、というふうに、自分に対して自分の感情を説明してあげて、自分で認めてあげる。必要であれば、誰かと話してみる。
自分よりも周りの人を優先してしまう人は、感情を置き去りにしてしまわないように、自分に目を向ける時間をつくってみてください。
いろいろな人が一緒に過ごしていくために
“怒る人”、“怒らない人”、どちらが良いということはありません。
自分と違う思考、考え方の人がいて、それぞれが自分の正解を握りしめて日々生活をしているということを、頭の片隅にでも置いておけると、もしかしたらこれまで滞っていたことが、すこしスムーズに流れ出すかもしれません。