短編小説「秘めた想い」

「離れていても、ずっとお前のこと想ってるから」
真っ直ぐ目を見つめながらそう言ったあなたのこと、今でも時々思い出すの。

「……私たち、どこで間違えちゃったんだろうね」
呟いた言葉は、誰の耳にも入らないまま夜の闇に溶けていった。
冷たい風に吹かれ続けた頬が冷たい。
いつの日だったか、ためらいがちにそっと指でぬぐってくれたあなたの指の感覚を思い出して、また涙が溢れた。

彼とは高二からの付き合いで、私が東京の大学に進学したのを機に遠距離恋愛が始まった。
はじめのうちはよかった。
毎日の電話やメッセージが、心なしか一緒にいた頃より熱を帯びている気がして。
「遠距離恋愛は大変だよ」
そう心配してくれた友人の言葉も右から左。
周りがどうだろうと、私たちは絶対大丈夫。
そう信じて疑わなかった。
きっと、今の私がタイムマシンで過去に戻って忠告しても、聞き入れはしなかったと思う。

当時の私は――思い上がりではなく、きっとあの頃は彼も――お互いを“運命の人”だと信じていたから。

今思えば、予兆らしいものはいくつもあった。

毎日のメッセージの頻度が、少しずつ減っていって。
返信するまでの時間が、少しずつ長くなっていって。

通話時間が、少しずつ短くなっていって。
通話中に、私の知らない「大学の友だち」の話をすることが増えていって。

「どんなに忙しくても、絶対月に一度は会おうね」という約束は、半年を過ぎる頃にはなかったことになっていて。
会えない日が続いても、前ほど寂しくなくなっていって。

そうやって少しずつ、少しずつ開いた心の距離は、いつの間にか取り戻しがつかないほど深くなっていた。

大学卒業後、私は東京の企業に就職した。
東京での暮らしは大変なこともたくさんあるけど、案外肌に合っていて。
ようやく慣れた都会暮らしを捨てて、地元に戻るなんて考えられなかった。

(がんばって働いて、めいっぱいおしゃれを楽しんで、合コンもたくさんして、ゆくゆくはお金持ちのイケメンを捕まえるんだ!)

彼との時間をすっかり“思い出”に昇華していた私は、そんな浮ついたことばかり考えていた。

朝は適当に買い置きしたパン菓子。
昼はランチに出かける余裕もなく、ほぼ毎日コンビニおにぎりとサラダ。
帰りは終電になることが多く、気絶するようにベッドに倒れ込む毎日。
せっかくの休みも遊びに行く気力はなく、せっかく稼いだお金の使い道を考える余裕もなかった。

社会人というのは、東京で働くということは、どうやら自分が思い描いていた“大人の女性”の生き様とは随分違うらしい。

そう気づいてからメンタルに支障をきたすようになるまで、そう長くはかからなかった。

「……なんか、思ったより変わってないなあ」

母の運転する車で実家に向かう道すがら、窓の外を眺めながらポツリと呟く。
上京してから何年も経つというのに、記憶の中のそれとほとんど変わりない街並み。
まるで「おかえり」と言ってくれているようで、都会暮らしで疲れ切った心に何とも言えない感情が込み上げてきた。

小学生の頃、友達とよく遊んでいた公園。
中学生の頃、部活の仲間たちと買い食いに訪れていたコンビニ。
高校生の頃、初めての恋人――彼と、初デートで訪れたショッピングモール。

(……今、何してるのかな)

別れてから久しく思い出すこともなかった彼の顔が頭に浮かんで、少し鼻がツンとした。

実家に戻ってからしばらくして、ボロボロになっていた心身の状態が明らかに良くなった。

空が青い。
太陽の光が心地良い。
ご飯が美味しい。

そんなささいな幸せを噛みしめるたび、それらを全く感じなくなっていたのがいかに酷い状態だったかを思い知らされた。
仕事を辞めて地元に戻るという決断をするのがあと少し遅かったら、今頃どうなっていたかわからない。

「もうすぐお風呂沸くから、先入っちゃってね」
「あっ、はぁーい」

実家を出る前とほとんど変わりない母とのやり取り。
本当は色々と思うことがあるだろうに、再就職を急かすようなことは一切言ってこない。
ありがたいなと思うと同時に、だからこそ焦りが募る。
このまま何もしないで美味しいご飯が出てくる毎日に慣れてしまったら、もう二度と社会復帰なんてできない。
なんとかして、早く次を見つけなければ。

「……って、思ってはいるんだけどねえ」

深いため息とともに【検索結果:0件】と虚しく表示された転職サイトのタブを閉じる。

そして、裏でLINEを開きっぱなしだったことを思い出した。

「……」

地元に帰ってきたあの日。
頭の中に彼の姿がよぎってからというもの、気づけば彼のことばかり考えている。
もうとっくに過去のものになったと思っていた彼への想いが、ふつふつと湧いてくるのだ。

(……声、聞きたいなぁ)

でもいきなり電話なんかしてもどうせ出てくれないし。

もし出てくれたとして、どんなことを話せばいいのやら。
ていうか、別れたときに連絡先消してなかったんだって引かれちゃうかも。

そんなことを悶々と考えているときだった。

『地元帰ってきてるって聞いたけど本当?』

ポンッと表示されたメッセージに、思わずスマホを放り投げてしまった。
驚きのあまりフリーズしていると、立て続けにスマホが鳴る。
おそるおそる覗き込んだ画面に、これは夢かと頬をつねった。

『久しぶりに会って話したい』

久しぶりのやり取りは、自分でも驚くくらいスムーズにできた。
離れていた時間も、距離も、なんなら別れた事実さえもなかったように。

あれよあれよと話が進み、次の週末に会うことになってしまった。
自分で望んだ状況のはずなのに、いざ現実になると嫌な想像ばかりしてしまう。

向こうから連絡がきたということは、少なからず好意が残ってるんだと思う。
けれど、激務でろくにケアできていなかった体は、付き合っていた当時とも、私自身が思い描いていた理想の姿からもかけ離れていた。

実際に顔を会わせたら、その瞬間に幻滅されてしまうかもしれない。
でも今からじゃボディメイクもスキンケアも到底間に合わない。

(せっかくやり直せるチャンス、絶対逃したくない……!)

せめて、せめて小綺麗に。
今の私を最大限魅力的に見せてくれるモノたちを求めて、ネットの海に繰り出した。

服はだいたい決まった。
メイクもたぶん大丈夫。
バッサバサで無造作に伸びた髪は美容院でなんとかしてもらうとして、あともうひと押し。

このチャンスを無駄にしないための何かが欲しい。
そんな思いでSNSを流し見していると、とある投稿が目に入った。

「“運命の赤い宝石”……魅力を引き出す……恋をつなぐ、かぁ」

シンプルなリングに、内側で輝く一粒のルビー。
『ヒメタオモイ』という名前が、今の私をそのまま表しているようで心惹かれた。
これまでアクセサリーといえばピアスやネックレスばかりだった私の目に留まったのも、何かの縁があってのことかもしれない。

もう一度だけ、“運命”とかいう不確実なものを信じてみよう。

久しぶりに会った彼は、昔よりちょっぴりふくよかになっていた。
その姿になんとなく安心して、あまり緊張もせず自然体で話せたと思う。

楽しく、穏やかに、でも確実に過ぎていく時間。
もうすぐこの夢のような時間が終わってしまう。

(――なんで私、この人と別れちゃったんだろう)
(ずっと一緒にいたい。もう一度やり直したい)

そんな思いが頭をよぎった瞬間、何かがポロッと目からこぼれた。
彼のギョッとした顔を見て、自分が涙を流したことにようやく気づく。

「…えっ、あれ? なんでだろ、なんかごめん、」

なんとか自然な言い訳を考えようとパニックになっていると、彼の指がそっと、ためらいがちに頬に伸びた。

あの日と同じ、やさしいぬくもり。

「……俺、今度こそ絶対離れないから」

真っ直ぐ目を見つめながら囁かれた言葉に、また涙が溢れた。