よく「思いやりのある人・ない人」なんて言い方をしますね。
人間関係を作っていく上では、思いやりの心はとても重要です。しかし、自分では思いやりのある行動を示したつもりが、相手に嫌な顔をされたり、うまく伝わっていなかったりというすれ違いも起こります。
「人に対して優しくしているつもりだけど、なんだかうまくいかない」
「あの迷惑な人は、どうやら自分のことを思いやりのある人だと思っているみたい」
なんて。
今回は「思いやり」の真の意味や「優しい」との違い、あなたの思いやりの心をさらに育てる考え方について解説しています。
「思いやり」と「優しい」は違うものです!
今回本記事で言っている「思いやり」は、いわゆる「優しい」とは違うものです。
優しい・・・あまり怒らないこと・温和・柔和(※イメージも含まれる)。
思いやり・・・相手の立場に立った物の言い方や行動が取れること。
(※あくまで本記事での定義です)
人が誰かに対して「あの人は優しい」などと言う際は、実はあまり深い意味はなくその人のイメージで言ってることが多いのもの。普段から声を荒げることがなかったり、のんびりゆったり人と接している人のことを「優しい」と多くの人は捉えがちです。
しかし、その人が「思いやりのある人なのか」というとこれは全く別問題になります。
上記で説明した通り、相手の立場に立った物の言い方や行動が取れることを思いやりとするなら、「怒らないし穏やかだけど自分勝手」な人は存在するからですね。
これについて次項では具体的な例を挙げながら見ていきましょう。
具体例で見る!一見優しいけど、「思いやりのない」行動
例1.夫婦編
ここに一組の夫婦がいます。
いつも家事をするのは奥さんの方ですが、今日は体調を崩して寝込んでいました。
奥さん「ごめんね。今日は食事が作れないから、テキトーに食べて」
ご主人「わかったよ。ゆっくり休んでいてね」
ご主人はコンビニでお弁当を買ってきて、一人で食べました。奥さんの食事の用意や他の家事はしないようです。
奥さん「……」
ご主人はコンビニ弁当を食べ終わると、さっさと自分も寝てしまいました。
どうやらご主人は明日の朝も仕事で早いようです。
はい、このご主人は奥さんに対して怒ったり責めたりと言ったことは一切していませんし、食事は自分でなんとかしました。
でもこれって思いやりのある行動でしょうか?
もう一つ例を見てみましょう。
例2.大学受験編
仲のいい友達であるA子とB子。
明日はA子の第一志望の大学受験の日です。
A子は精神統一をして、部屋で一人で最後のおさらいをしています。
そんな時にB子から電話。
B子「いよいよ明日だね! 神社で合格祈願のためのお守りをもらってきたから、ぜひ渡したいの。今から会いに行くね!」
時刻はもう夜になっていました。
A子「気持ちはありがたいけど、今最後のおさらいをしているところだからいいよ」
B子「遠慮しないでよ! せっかく用意したんだから待って行って!(電話を切る)」
A子「……」
B子はA子のために用意したお守りを渡すためにわざわざやってきて、A子は彼女を出迎えるため、前日のおさらいプランは崩れてしまいました。
B子がA子にお守りを渡したかったのは、彼女の気遣いからです。
しかし、A子が大切にしたかったものはお守りではなく、精神統一と最後のおさらいだったのです。
例1のご主人も、例2のB子も、決して悪い人ではありません。
それどころか、病人に「ゆっくり休んでね」と声をかけたり、合格祈願のお守りを渡したりと相手のことを考える優しい気持ちがあるように見えます。
しかし、どちらの例にも言えるのが「相手の気持ちに寄り添っていない」ということです!
「今日は食事が作れないから、テキトーに食べて」という言葉だけを信じて、他のことをしなかったご主人。
「今最後のおさらいをしているところだからいいよ」と言っているのを遠慮だと受け取り、A子の元に押しかけたB子。
両者とも、「相手が本当は何をしてほしいのか」を見抜いてそれに応じてあげることができていないんです。
2つの例から分かる通り、思いやりとは「自分の考える優しさや気遣いを押し付けることではなく、相手が本当にしてもらいたいことをしてあげるように心がけること」なのです。
思いやりのある行動を取るようにするために磨きたい2つの能力とは
相手が本当にしてもらいたいことを察することが得意な人もいれば、苦手な人もいます。私たちが思いやりのある人になるには、察する能力をなるべく磨く必要があります。
「なるべく」と書いたのは、これを完璧にこなすことはできないからです。
私たちの多くはエスパーではないので、相手の心の中を読めません。
それに、「自分がしてもらって嬉しいからと言って相手もそうとは限らない」ということになかなか気づけないこともあるでしょう。
さらに言えば、先ほど挙げた2つの例では、奥さんやA子にも非があります。
その非とは、「自分が本当にしてもらいたいこと、あるいはしてもらいたくないことを伝えられなかったこと」です。
例1の場合は、奥さんはご主人に
「本当に体が辛いから、私の食事の用意と看病をしてほしい」
と言えばよかったのです。
例2の場合は、A子はB子に「今最後のおさらいをしているところだからいいよ」というやんわりとした言い方ではなく
「前日は精神統一とおさらいのための日と決めていたから、誰にも会いません」
とはっきり伝えることだってできたのです。あるいはそもそも電話に出ない、という選択もあったかもしれませんね。
私たちが思いやりの心を育てるためには普段のコミュニケーションの中で、以下の2つを心がけていかなくてはいけないのです。
1、「相手が本当にしてもらいたい(してもらいたくない)こと」を察するように努力する
2、「自分が本当にしてもらいたい(してもらいたくない)こと」を伝えるように努力する
以上の2つのことを通して、お互いの「してもらいたいこと」の理解を重ねていきましょう。場数を踏むことで、「今相手はこうしてほしいと思っているんじゃないか。だとしたら自分はこうしてあげよう!」の精度が上がっていくのです。
人によって「してもらいたいこと」は違う――思いやりは「オーダーメイド」
注意しなくてはいけないのは、人によってしてもらいたいこと・してもらいたくないことは大きく違うということです。
価値観の違いというやつですね。
私たちはひとりひとり別の人間なのでこれは当たり前のことです。
が、私たちは自分以外の人間にはなれないので、つい忘れがちにもなるのです。
先ほど例2でB子はA子の元に押しかけ、A子はそれを内心で嫌だと思っていたわけですが、相手がB子の価値観に近いC子であったならまた結果は違ったでしょう。
「前日にわざわざお守りを届けてくれるなんて、本当にB子は思いやりのある子だわ!」
とC子なら感激したかもしれません。
ですから私たちは、思いやりとはオーダーメイドのようなものだと考えれば良いのです。
それぞれの欲しいもの(=してもらいたいこと)がどのようなものなのかをまずは理解しなければ、オーダーメイド品を作って届けることはできません。
ですから突き詰めればまずは相手の価値観を理解してコミュニケーションを取ることが、思いやりには不可欠だということになります(参考「価値観とは何?他人の価値観を認めない人にならないために」)。
もちろん
「そりゃこんなことをしてもらったら大抵の人は嬉しいよね!」
という事柄もあります。
たとえば、以下のような。
- 荷物が多い時に少し持つ
- 忙しい時に手伝う、励ます
- 道に迷っている人を駅まで案内する
などなど。
このような多くの人が喜んでくれるような思いやりは、あまり知らない人に対してであってもどんどんしてあげましょう。
その上で、「あなたと近しい家族や好きな人や友人とは相手が本当にしてもらいたい(してもらいたくない)こと」を察するように努力し、「自分が本当にしてもらいたい(してもらいたくない)こと」を伝えるように努力します。
この努力の中でオーダーメイドの思いやりを作り上げ、実践していってあげましょう。